「分かりきった現実」貯まる放射性廃棄物と原子炉の寿命

わが茨城は原子力のメッカともいうべき東海村を有しておりますが、県内でいろいろな方とお話ししていますと、特別、原子力に関する知識が豊富な県民性であるともいえないのではないか、と感じています。

というのは、お話ししていると、議論は百出して、それはそれで大切な議論なのですが、終盤になると大概は「価値観の問題」だとか、「見解の相違」などと、うまくまとめられてしまい、気がつけば何のことはない、結局議論するときと同じ場所に戻ってきただけだ、という場合が多いのです。

こういうタイプの議論は、茨城県に限ったことではないと思うのですが,逆に、少ないと思う議論(テーマ)があります。

それは、「国内に放射性廃棄物が貯っているし、これからも貯まり続けるであろう」ということと、「国内の原子炉には寿命があり、近い将来、解体(廃炉)されなければならないし、そうなれば原子炉施設も廃棄物になる」という、意見の分かれないであろう「現実」です。分かりきった現実はつまらないから、あまり議論にならないのでしょうか。

茨城県民はこの「分かりきった現実」にどう向き合うのか、何てことを考えている私です。

 佐々木進市